2011年8月8日月曜日

記憶として残るトロッコ


   魚梁瀬のダムを見下ろします。

   この時は、まだ梅雨時だったこともあり、目の覚めるような緑が
   私達を迎えてくれます。

   トロッコの話となると Iさん が断然、詳しくって
   私は、彼の蔵書と丹念なガイドに乗っかかるだけ・・・といったところ。

   ・・・というのも

   


   トロッコって馴染みが無いんですよね~。

   昭和30~40年頃までには、そのほとんどが廃止されていますし、
   通常の鉄道よりも簡便に造られていたこともあって、
   今となっては、残る遺構も少ない。

   往時は、幹線を疾走し、多くの人々の心を捉えた
   大型蒸気機関車が、観光の目玉として各地で復活の狼煙をあげていくのとは
   対照的な感じもします。

   そうは言っても・・・

   日本文学の代表作、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の構想のもととなったのも、
   岩手軽便鉄道というトロッコ鉄道らしく、

   賢治は、小さな機関車が、マッチ箱のような客車を牽くような汽車を
   宇宙の野原に走らせていたのかと思うと、また興味も湧いてきます。

   あれれ? 俺、文系だったっけ・・か・・!?
   


   それにしても・・・ ここ 魚梁瀬 は、よく残しています。

   トロッコ・・・ という名前には似つかわしくないような、
   丈夫な構造物を作っていった事が
   結果として、廃止後も人々の記憶に残る助けとなっていくのでしょうね。

   
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